トカトントン 太宰治

太宰治がいいなーと思うのは、表現力に尽きる。
だいたいがものすごくめんどくさくてどうでもいいことをなんだかんだ、くどくくどくしゃべりまくっているような一人称ものがいいんだけど。内容が内容なのにもかかわらず、一気に読めてしまう、言葉のリズム感がすごい。


そして、何もかもが深刻なようでいて、どっか間抜けでバカバカしい感じを受ける、少なくとも私は。
書くことによって、苦悩が対象化されて、それが苦悩というよりも「そんな偉そうなもんじゃなくて、なっさけねーなー、コイツ」ってクスっと笑ってしまうようなものになって、そこが救いになってる。・・・・というように太宰を読む人は多分少ない。多分、多くの人は、もっと深刻に読んでいる。まあ、若い人ならしょうがないんだけどね。


私が学生時代の友達と意見が一致したのはそこんとこだった。
「・・・太宰ってさ、なんか、暗いっていうイメージなんだけど、むしろ、この人って、間の抜けた感じのおもしろい人なんじゃないのかなあ?」「そうだと思うよ。」って。


内容を要約したら苦悩以外の何物でもない。でも、あの秀逸な文章力にかかるとそれがごく足元に降りてきて、ただのカッコ悪いやつになっちゃう。そんなただのカッコ悪いやつをわざわざ表現し尽くすことで肯定しているっていうふうに、私は、感じる。


だから、ちょっと検索してみたら、トカトントンの一般的な解釈が「苦悩するよりも行動する、そういう勇気が大切だ」みたいになってるのを見るとげんなりしてしまう。・・・・そんな当たり前の事を言うためにこんなめんどくさい告白文を書くわけ無いだろ、とか。



トカトントンっていう金槌の音ではないけれど、私は、まさにこれを聞きながら生きている人だ。
低い声が聞こえる気がする、子供の頃は本当に聞こえていた。低い小さな声で、ゆっくりと、「どーーこーーーーじゃーーーあーーーーるーーーーうーーーーー」って聞こえる。
まさに、あの小説と同じタイミングでこれが聞こえるもんで、困っていた。こんなのみっともなくて誰にも言えない秘密だと思っていた。だから、あの小説を読んだ時は嬉しかった、ほっとした。「おんなじ人がいるんだー」と。創作とはいえ、なんらかの似たような現象が起きていなければとても書けるようなレベルの出来ではないのでそう思った。


太宰の小説は私小説であって、つまり、フィクションだ。自分のことをそのまんま書いているように感じるように書かれたフィクションだ。その技術が秀逸なので、まあ、どんだけ自分の内面のことを対象化する能力があるんだよ・・・と、感心してしまう。あれは告白じゃなくて小説なんだよね。


だから、あの小説の最後は手紙への返事になっている。あれがすごい。
私が思うのは、主人公は、まさしくあの返信を呼んだ瞬間に「トカトントン」って聞いちゃっただろーなー、って、すごくウケる。あの程度の理解しかできない人のあさはかさと同時に、そんな人にあんな手紙を勇気を振り絞って投函して(それこそ勇気の行動だ)、そんで返信を読んでまたぞろ「トカトントン」を聞いちゃった瞬間の主人公のがっくりとした情けなさが、両方ウケる。どっちも同じくらいかっこ悪いところがウケるんだよなー。


そんな感じで、私の感じる太宰治の小説というのは、惹き込まれて一気に入り込んで、最後にふっと、可笑しいような、感動したような、で、クスっと笑ってしまうようなものだ。「やるじゃん太宰」って思う。で、太宰本人も書き上がった瞬間に「やるじゃん、おれ」ってにやけているような気がしてしょうがない。でも、多分、読み返すとちょっとやんなったりするんだと思う。なんでこーゆーのしか書けねーんだろ俺って、みたいな。



で、まあそういうわけで、小説である分にはそれでいいんだけど、この変な声とともに生きているというのはまた別問題で、結構たいへんだ。
でも、急に解決策がわかったのだ。
「こんなもんは普通の人には聞こえないのに聞こえる自分は最低だ、嫌だ」なんて思う必要は無いんだよね。「あ、また聞いちゃった、かっこワリィ。。。」って、そんでいいじゃん、って。
単に、自分で自分にツッコミを入れる能力なんだよね。それがいついかなる深刻な熱のある場面であってもツッコミを入れちゃうから困るわけで。でも、別に、ツッコミが入ってもボケ続けるのが芸なんだし。突っ込み入れられて何も「すいません」って落ち込むことは無いという。そーゆーこと。
こういう両極性が自分の内にあると、うまく付き合えば、いい感じに「力みの無い、良い感じに力の抜けた」行動ができるような気がする。何しろ、どんな深刻な事情も根こそぎマヌケになっちゃうんだから。その、マヌケのままでやればいいんだ。



そんなわけで、今回の問題に回答が出た。やるじゃん、私。
ずっと思っていたのは、「今の如き自分の最低最悪の自分っていうのを肯定するのってどうすりゃいいの?」ってこと。
マヌケは笑えばいい。悩む必要はない。たとえそれが自分自身であっても。