感情の規制

瞑想の真似ごとをやっているが。


まあ、なんて呼吸が下手なんだろう。
一時間近く座っていても全く深い呼吸にならないことばかり。
浅い呼吸、そして、度々息を止めている。
こんなふうに、日常的に延々と自分を疲れさせることばかりやっているんだろう。
息を殺してどうしようとしてるのだろう。
何を守っているのだろう。


今日はかなり身体がだるかった。
まあそれでも、最低限のことはこなしている日。
何もしないというのは結局苦しい。
ちょっとくらい何かやって、あとは堂々とさぼってりゃいいだけのことなのかもしれない。
でも、やはり程度がわからない。


押さえ込んでいる感情に気付く。
寂しい。
そう言えば先日スカイプやって以来Gちゃんから連絡無いよな。
仕事の目処がつくまで連絡できないごめんねって。
それが寂しいし、
ま、そんだけじゃないし、根本的に寂しいし。


寂しい。
いろんなこと、わかってもらいたい。
そういう思いが浮き上がる。
そして、


寂しいなんて思っちゃいけない。
わかってほしいなんて思っちゃいけない。
そんなふうに強く強く禁じている自分。
「思っちゃいけない」って何だ?
思っちゃいけないことなんてあるか?
自然に出てくる感情を「出るな」とは無理だ。
何を思ったって、そんなの自由。
思ったことに振り回される行動をしなけりゃいいだけのこと。
感情を禁じる癖はおかしい。
禁じることによって感じることさえできなくなってるなんて。


ストイックと言われ、どこがストイックなんだと思ったけど。
つまりそんなふうに病的にストイックではあるのかも。


「泣くな!」「怒るな!」
もう誰もそんなこと言わないのに、
いつまでそんなおかしなルールを守るのか。
感情に振り回されておかしな行動をするような人間じゃないよ、私は。
ただ、抑圧した感情は、時に暴発する。ずっと危険だ。


感情を押し込める。
だから息を吐くのが下手なんだ。