うつと寛解の双方で失う人間関係

友達付き合いがめんどくさい、まあほんとなんだけど、そういうことにならざるを得なかった過程というものがあってということもある。
うつと寛解を繰り返す中で、大事な人を得ては失っていく。
うつがなかったらこんなサイクルで変化したりはしないんじゃないだろうか。


具合の悪い時ってなんであんなに寂しいんだろうか。
そこで踏み出したせいで失う友達。
まあ、見えっ張りなので具合の悪い時に人に愚痴ったりとかが苦手だもんで殆どの付き合いを保留しておくんだけど。
それでも、なんかのきっかけで、回らない頭でなんかおかしな思考になって余計なことを言ったりしたり。
うつの底にあるのは「あらゆる存在に向かう怒り(それが内に向かっている状態がうつ状態)」だったりするので、それを無意識に人にぶつけてしまう。
まともな時ならもっと人の気持ちも考えられるのに、基本それどころじゃない。
そして、こんな状態の私を受け止めてくれようとしてくれる貴重な人を失う。
ああ、残念だ。2,3人思い浮かぶ。
暴言を吐いたりしたわけじゃないが、相手の立場や状況を思い測れないのが限度を越えている異常な状態はうっかり人を傷つける。


そして、かろうじてそんなトラブルを引き出してしまうことのない、頭がおかしくなっている私の状態を保留にしながら受け入れてくれる度量のある貴重な人だって稀にいる。
これを、寛解ととも自ら手放すことになるのは何故だ・・・・・。
わかってる。
自分の状態が変化して、その変化が関係のあり方に影響して、それをゆっくりと処理して行くことができないからだ。
できなかったなあ。
なんで焦ってしまうのだろう。


そうやって、得ては失う。
私は私なのに、うつの時の私とそうじゃない時の私と、両方を受け入れてもらうことは難しい。


うつの時に繋がった人とは快方に向かうとうまくいかなくなる。
それは、うつの私と波長が合っただけの人なんだろうか?
手放すべき関係なんだろうか?


その時その時で合う人といればいいだけなのかもしれないが、
信頼できる人にはそんなにやたらに出会えるもんじゃない。
信頼関係なんて、そんなに簡単に築けるもんじゃない。
そうして、年月かけて培ったものを、ただ、手放してゆくばかり。


仕方ない。
そうやって変わってしまうのが私だったんだから。


こうやって迷うけれども、
やはり結論は、孤独を受け入れる、それでいい。
その上でまた繋がることもあるだろう。
新しい関係性に。


何かが終われば何かが始まる。
ちょっとばかりそのサイクルが短いだけのこと。