なんにもやりたくない、ということの意味

しかし・・・・・・・・・・映画によってうつ病を違う視点から見られたことはともかく・・・・・・


なんのためにこんな病気があるんだろう。
なんのためにこんな苦しみがあるのだろう。
意味のないことなんか、あるわけないのだ。


何故ここまで奪われるんだろう。


「頭では分かるんだけど、できない」どころか、
「頭ではわかるんだけど、感じない」ということ。
気分障害なんていう言い方があるけど、感情障害だよなほんとは。
やっぱ、感情を大切にしろよ、っていうメッセージなんだよな。


今、できること、その、ごく少ないことの中で、自分が本当にやりたいと思えることは?
今、できないこと、やらなきゃなんないと思っても、どうしてもできないこと、やりたいと思ってもできないことは?


本来の感情を取り戻すために全てをリセットされてるんだよな。
そしたら、
できないことは、何一つやっちゃいけないんじゃないの?
病気の言いなりになることが必要なんじゃないの?


できない自分を責めることが一番やっちゃいけないことなんじゃないの?



どうしても、何かできることはないもんかと、探してしまうのだけど。
探しちゃだめなんじゃないの?
「ああ、できるな、やろう」っていう自発的な気持ちを待たなきゃいけないんじゃないの?


だって、それこそ自分が否定し続けてしまいがちなことだから。
やるべきことばっか見て、やりたいことを見失う。
だから、やりたいという自発的な気持ちが逃げてしまったのだ。


やっぱり、そうだ。
何度も、何度も、「やりたくないことは絶対やんない、それが必要なはずだ」という結論を出したけど、
そのことを責める自分と戦うのが、辛い。
でも、その責める自分を無くすことが、やっぱ必要で。
この、不毛な戦いは、やっぱ、無駄なことなんかじゃなかったんだよな。
だって、ここんところ、ずっと、倒してきたもん、そいつを。


疲れたから休むなんて、そんな簡単なもんじゃないんだよな。
疲れて休んでいたって、本当に休んでたことなんかあったか?
身動き取れないくせに、いつだって、自分を責めていたはず。
だから、どんどん肩が凝る。
そして、動いたほうがいいんじゃないかなんて不安になるけど。
動きたくないでしょーが。
じゃー、どーすんだよ、って、
「まず体の力を抜けよ」


今できないことは、今、絶対しちゃいけないことなんだ。
私が今できないことは、元気な私には難なくできること。
やりたくないことをやりたくないと認めること。
それは、今後、絶対不可欠な変化だ。
やりたくないことは、嫌々やるもんだ。
やりたくないのに、自分をごまかして「別にちっとも嫌なんかじゃない」って、すぐ、そんなふうにしてるじゃないか。
そういう、本当の自分の気持ちからの復讐を受けているのだ。
降伏だ。


一番最初のカウンセラーの先生が一言目に言ってたことじゃないか。
何度も何度も言ってたことじゃないか。
「やりたくないことは絶対やらない、できることは程々に」って。
やーーっと、理解して腑に落ちたな、この言葉。
ばっかだなーあ、何年かかってんだ・・・・・・・。
やっぱさ、本当にわかんないと、だめだな。
言われて、「そういうもんなのかな?」って信じようとしても、わかってないと、ためだわ。
「絶対にやりたくないことなんかやらない」って決意なんかしたって、わかってないと、迷う。
これでいいんだと。


一番最悪なありのままの自分を受け入れることが必要で。
それは、思っていたほど難しいことなんかじゃなさそうだ。


私らしくなくても私は私で、それでいいんだ、それだけで。