ツレがうつになりまして を観た:2




そんで、だ。
具体的にどう良かったのか、と。


しかし、うつ経験者及びその家族など近い人以外の人が見てもほとんどよくわからんだろうが。
まあ、そういう人は見ないだろうが。


うつエピソードが、「ああほんとうにそうなんだよなあ」とすっと入ってくる。
深刻過ぎず、私としてはちょっと笑っちゃうくらいのマヌケさが漂う描き方。
やっぱこれは、奥さんのハルさん視点がとても素直で、それがいい感じで表現されてるからなんだけど。
ハルさんは結構ツッコミを入れる。
「こんなの(ちっちゃいナイフ)じゃ死なないよ・・・」
「それって、批判してるの?」
「亀が亀飼ってどうする」←結局飼うんだけど(笑)
などなど。
うつ症状というのは第三者から見るとおかしなもんだ。
なんでそうなっちゃうんだろ・・・・っていうような。
この、「なんでそうなっちゃうんだろ?」がそのまんま、何の価値判断も無く受け止められている、それが心地良い。
時にイラッとしつつも、「そういうもんなんだな」とそのまんま受け入れていく彼女の視点。


エピソードのパターンはほんとうに一般的なうつの症状。
全て私も経験したものだった。
一番つらかった頃のことを思い出して、結構そんだけでうるっとしてしまう。


「お弁当が作れない」
うう、そうなんだ、弁当、命がけレベルだよ。
そんでも、作る。一日一日、最後の力を振り絞るように。
そして、努力も虚しく、ある日、できない。どうしてもできない。
これが死にたくなるほどのショックなんだ、わかる、わかる。ほんとうにそうなんだ。
たかが弁当作る位のことが日々決死の覚悟で、そんでも頑張って。
普通なら、ちょっと無理なことでも頑張ればできる、もっと頑張ればもっとできるようになる。
それなのに、頑張っても頑張っても、こんなに簡単なことがどうしてもできない。
「できない」と諦めるまでにどれだけ頑張ったことか。
たかがこれだけのことに頑張って頑張って、そして断念せざるを得ない、その惨めな敗北感。
いや、死にたくなるよ、誰だって。あの真っ暗な気分は。


「何食べても味がわからない」
そーなんだなー。味、わかんない。
なんにも美味しくない。
私の経験だけど、調子のいい時期に両親と叔父夫婦と外食をした時、
「ああ、今日はちゃんと味がする。ずっとなんだかよくわからなかったんだ。美味しい。」
と言ったら、叔父は
「へえ・・・・不思議なもんだな。同じ人なのにな・・・。」と言ってたっけ。
味はなんとなく、遠くの方でわかるのだけど、おいしさも、「これは多分美味しい食べ物なんだろうな」と、やっぱまるで推理でもするようにしてわかる、ただ、感じないのだ。


頭ではわかるんだけど、どうにもならない、ということは普通でもよくあることだけも、
頭ではわかるんだけど、感じない、この感覚はうつ経験者だけのものだろうな。
風邪引いててとか、味覚障害とかの物理的なことなら、そもそも頭でさえわからないのだが。
まあ、全てにおいてそうなってしまうわけで。
「おもしろいのはわかるんだけど、笑えない」
「感動的なのはわけるんだけど、感動しない」
この、感情が湧かないもどかしさ。
そして、辛い、悲しい、などのマイナスの感情ばかりは数十倍にも、数百倍にも感じるのだ。


さて、「料理をしてみよう」ということになるシーンがあった。
楽しくなることを考えようよ、というハルさんの提案から出たこと。
「お料理したいな」
この一言が出たことに、二人はどれだけ希望を見たことだろう。
それが・・・・・、
私は嫌な予感がした。(料理なんて・・・・できるか?)
そして、やっぱり・・・せっかく始めたのに、段取りはもたついて、いっぱい散らかして、味見をすれば味がそもそもわかんなくて、迷って、迷って、ハルさんに味見を任せると、「しょっぱいよ・・・」
ドーーーン!ここでシャッターがガッシャーンと落ちるのが私にはわかる。
展開は、「料理して失敗した」だけのこと。
でも、でも・・・・・これは死に値する程の苦痛だよ。
一方、うつ病というのは別にバカになってしまったわけではないので、
「ただ料理して失敗しただけのこと」ということだってわかっているのだ。
わかっているのだけど、それが自分の意味では死ぬほど辛い。その情けなさ、惨めさ。
何重にも重なる辛さ。
いやもう、泣けるよなー、経験者には・・・。←経験者限定の共感になるのはこの病気の場合仕方ないこと


一体どういう病気なんだろうか。
「もう頑張れない」ほど疲れ切ったのだったら、「頑張りたい」という気持ちの方も封印させてくれればよいものを、「今はどうしても無理」ということを執拗に思い知らされ続ける。ドSかよ!
「今はどうしても無理」をどうにか受け入れても、「じゃあ、いつから大丈夫なの?」これには何一つ答えず、目眩ましばかり仕掛けてくるので、「最早永久にそんな日は来ない」というところまで追い込まれる。
いっそ、不治の病なのなら諦めがつく。しかし、「うつは絶対に治る」ということだけは本当のこと。
こんなの、酷すぎる。どうすりゃいいんだ。。。
体の痛みで症状が出る病気なら、痛くない瞬間は痛くないのだけど、
痛くない時でもずっと痛いのが心の病なんだよなあ。


例えば、先の震災のために色々なものを失った人々がいる。
「前向きに」なんてどうしても思えずに苦しむ人々がいる。
その苦しみに匹敵すると、もしかしたらそれ以上かもしれないと言ったら、多分、不謹慎極まりないのだろうが・・・・。
でも、私はやはりそう思うのだ。
何もかも失ったなんてことは全然無いのにも関わらず、何も無いのと同じ・・・。
友達も家族も今までと変わらずにいてくれるのに、とてつもなく、遠い・・・。
たった一人、津波に流され、一人板切れに捕まって漂流し続けるのと、心理的には何ら変わらない。
そして、その地震津波の原因そのものが自分のせいだとまで思わされるのだ。


さて、映画に戻ると、突然、清々しく目覚めてサーッとカーテンなんか開けて「ああ、気分がいいなあ」とか言うツレさんの光景。「薬が効いてきたみたいで、最近すごく気分がいいんだよ」なあんて。
しっかし、そーんな甘いもんじゃねえ・・・・何の理由もなく、ある日突然また布団を頭から被って泣いているツレさん・・・。
「こんなふうになるんなら元気になんかならなきゃよかったのに。」
あーーーーーーーーー、まさにこれなんだよ、これ!
「うつは良くなったり悪くなったりを振り子のように繰り返します」って・・・。
繰り返すな!どこまでいたぶるんだこいつは!ふざっけんな!
調子が良くなった後の戻りはまた格別の辛さ・・・・。
なんなんですかね・・・・・・。


まあ、そんなような、よくあるエピソードがとっても上手く描かれている。
そんだけじゃお話にならないもんで、後半はハルさんの心境の変化がメインになってて、これはこれで、なかなか心温まる。ツレさんの病気を受け入れていく過程でハルさんが変化していく様子が、無理なく描かれている。すんなりとついて行ける。
もう、ここら辺を安易にやられたらかなりガックリしてしまうので、安心したというか。まあ、感動するまでは・・・・ちょっと、いかないかな。まあ、そんでも、私が一度も怒らずに通して見ていることができたくらいだから、わりと感動的なんじゃなかろうか・・・。
いかんせん、こちとらパートーナーなんつーありがたいもんが存在してくれるわけじゃないので、「うらやましいなー」とか、「私の前の夫や家族はできなかったなー、こんなふうには」とか、なっちゃうけどもね。


でも、先日も書いたけど、見てよかった。
ちょっと、心が軽くなったのだ。
うつで苦しんでいる自分を客観的に捉えようとするとどうしても、悲惨な光景になってしまうのだけど、この映画ではそんな風には全然見えなくて。うつになったツレさんも、もとの「ツレさんらしいツレさん」と本質的にはなんにも変わってないツレさんなんだというのがよくわかる。「なんでこんなことになっちゃんだろ?」それはわからないのだけど、ツレさんは、ツレさんだ。ツレさんらしくなくても、ツレさんはツレさんだ。
そういう視点が、ちゃんとあるってこと。
そんな大切なことに気付かせてくれた。
私らしくなくても、私は私なんだな。
そう思えることでどれだけ楽になれることか。


感謝である。






そう言えば、ハイロウズのNo.1という曲の歌詞にあったな。


ぼくらしくなくても ぼくはぼくなんだ
きみらしくなくても きみはきみなんだ


好きな曲で好きな歌詞だ。