引き裂かれている自己意識

ここのブログは書き捨てって感じで書いているのだけど。
今はメインのブログもあまり更新せず、フェイスブックツイッターは放置。
フェイスブックが特に妙にストレスになるというのがあったんだけど、
似たようなことはどこでも、リアルな現実の中でも感じることがある。


自分の思ったこととかを書いているだけで、
別に嘘を書いているわけでもなんでもないんだけど、
なんだかろくでもない嘘八百を書き連ねたような気に、後から陥ることが余りにも多い。
実際に、「なんであんな事書いたんだろ?」というのもあるんだけど、
どう考えても本気で書いたことなのにもかかわらず、嘘を書いたような気がする・・・。
この感覚を打ち消し続けているうちに、なんだかどんどん辛くなっていった部分がある。


私が書いたことに直接何の否定的な反応があったわけでもないのに、
自分の中でものすごく否定的な見解が湧き上がる。
好意的な反応があった時でさえ、なんとも言えない居心地の悪さを感じて逃げ出したくなる。
こういう自分の健全とは言えない心理にどうにもならなくなっていったところがある。


それは、このブログを書いていても感じることだ。
とにかく、何を書いても数日後には嘘を書いたような気がする。
読み返してみて、多少飛躍とかはあったりするものの、そんなに馬鹿げたことは書いていないと感じるのだけど、
それでも、その奇妙な感覚はあまり変わらない。


こういうことは、10代や20代の初め頃の、自分の考えにまるで自信が持てない頃にはよく感じた感覚のような気もするんだけど、こんなに極端に感じるのは特に、調子が落ちてきたここ1年くらいで、
最早耐え難いほどになっている。


どうも、「こうあるべきだ」という思いと「こうありたい」という思いが混乱して限界に達しているような・・・。
「こうあるべき」という発想が「嘘を付いているような気がする」となってくるのは自然なことなのかもしれないが、
「こうありたい」のほうも嘘のような気がするのはどうにも不自然だ。
そして、この二種類の思考が一方が一方を打ち消そうとするようにランダムに表出するもんで、自分の矛盾に耐え難くなる。


あたかも自分の自然な感情を否定し尽くすようなことを真剣に書いていることがある。
本当はそんなことどうでもいいことなのに、嬉々として書いていることなんかもある。
要するに、到底自分の本心では無いようなことを、無理に信じようと何かを書いていることがよくある。
これが表出するのが怖くて書くことが怖くなっている。
何しろm書いている時は本気なんだから、その時はわからないのだ。
ただ、書いた後にものすごく消耗する。


一方で、どう考えても自分の素直な気持ちを書いている時でも居心地が悪い。
なんだか、いい気になっていたような気がしてしょうがない。


こんなことはどう考えても健全じゃない。




心理的なブロックが働いていると考えるとこの謎はすっきり解ける。
「私は私が本当に心から思うことを表現してはいけない」
そういう禁忌が働いている、と。
本心を語ればこのブロックが機能し、
本心で無いことを語れば、自然に気持ちが悪い。


そして、ここに母親による呪いを付け加えると、さらにすっきりする。
「馬鹿正直になるな」「純粋は悪だ」「人に本心を言ってはいけない」など・・・・
本当に嫌になるほど言われ続けてきたことだ。
もちろん、「何が悪いんだよ?いいことだってある」って私は思っているんだけど、
さらに、自分には自分で自分の気持を隠すことで良い思いをした経験などまるで無い。
本当のことを言わなければ理解者なんか得られない、
ちょっと怖くても自分に正直でいればこそ、信頼出来る人だって得られている。
意識の上ではそうなのだけど、
もしかしたら、これが強力な禁忌になっているのではないか・・・・・・。


カウンセリングで、別に誘導されたわけでもないのに、自分で考えた答えがそれだった。


なのに、なんともまだ、気持ち悪さがあるのだ・・・・・・。


そんなのはただのいい訳だ。
私は根本的に生きる能力の無い人間なのだ。
と、思わせられる。
そんな人間はいない、と、私の理性は否定するのだけども・・・・。
どんなに自分の心を見つめようが、原因を探ろうが、
そんなことでこの自分が普通に生きていけるようになんかなりはしないと、
そんな悪魔のような考えがどうしても湧いてくるのだ。


完全に、自分が引き裂かれているのだ・・・・・・・。