明日はカウンセリング

思考能力がほぼ無い。
明日は月一のカウンセリングだけど最早行くのが面倒。
それでも、行けばきっと「来て良かった」とは思うだろう。
そもそも、これを外すと一ヶ月の間誰にも合わないということになってしまう。
誰にも、こんな状態で誰にも会いたくも無いけども。


億劫だなあ。
まあ、行くけど。
ありがたい話のひとつも得られるかもしれないけど、自分自身に進む気が無ければ話はただの話でしかなくなる。


今の状態は惨めなものだけれど最早嘆く気も無い。
どんなにわけがわからなくても、どうにも他にしようが無くても、所詮、自分で選んでこうなっているわけで、
自分が心の底から抜け出したいと思うのならきっとできてしまうのに違いない。
できないのは、このままでいたいと望んでいるからだ。


生きるってことはこんなにもしんどいことなんだろうか?
そんなはずは無いと思うし、もしそうでしかないのなら生きていたくなんか無い。
こんな繰り返しの中で生きているのは嫌だ。でも、何度もここに戻ってくる。もう、この繰り返しには疲れ切ってしまった。
もうここには戻らずにいられるのだと信じることができなければ、もう、一歩も先に進みたくなんか無い。
「今度こそ大丈夫」なんていう希望が、もう、無い。
それで、どうして進むことなんかできるだろう・・・・。


もう、欲しい物なんか何も無い気がするのだ。
ただ、腹が減ったり眠くなったりするだけ。
生命を維持するだけ。
人は簡単に死ねないということが、それだけがあるだけ。


人間は飴と鞭の支配の中で生きるようなものではないと思うけれど、私はこの中でしか生きていない気がする。
恐怖と報酬の間だけで生きているなら、それは疲れきるはずだ。
そういうものじゃないはずだ。
でも、わからない・・・・・。


物事がうまく進んでいるような時でも、充足感が無い。
充足しているのだと必死に自分に言い聞かせていないと保たないところがある。
そして、その緊張感に疲れ果てる。
そういうストーリー。


やはり、充足していることへの罪悪感に支配されてしまっているのか?
本当にそこまでの呪いにかけられたのだろうか?



そうなのだとしても、どこにも突破口が見いだせないということは、
私自身が、少なくとも今のところはそこから抜け出したいと本気で思ってはいないってことだ。
いったい、こんな状態でいることに甘んじてしまうほどの恐怖とは何なのか?
母親なんかもう、とっくに敵に回してしまったというのに。