幸福がこぼれ落ちる時

そんなことよりも、涙を流して感動し喜びを感じたつい2日前の気持ちが思い出せない。
そういう状態なんだなあ、今。
普段だったら何度も呼び起こして抱きしめるだろうがそれどころじゃないらしい。
それだけのことだ。


そういうわけだから今は過去のいろんな楽しかったことが全てぼんやりしてしまってその事実は思い起こせてもその感情がさっぱり思い出せないのも仕方のない事なんだろう。


彼女は死後の世界が見えるらしいが。死んだら楽になるというのは無いという。
体があればこそ気が紛れるけど肉体が無くなったらずっとそれだけなのだと言う。
それが無間地獄ってやつかー。


ムゲンジゴクというのは「無限」なのかと思っていたが本当は「無間」と書くらしいと知った時、こえーな、と思った。
一時の間断なく責め続けられる・・・・・コワ。


今の事態もなんとなく無間のような気がするものの、まあ、わりとそうでもない。
マツコ・デラックスとか有吉とか美保純とか中村うさぎとか岩井志麻子とかがテレビの中から間をくれる。
眠ることが出来る。食べている間とか。
テレビが東京MXに偏っているのがおかしいけど。


さてもうすぐマヤ暦が終わるらしいしその同じ時にフォトンベルトにすっぽり入るらしいとか。
それに何か意味があるとしたら今までないがしろにされてきたものに光があたる時期に入るのならいいなと思うし、それしかあり得ないんじゃないかと何となく思う。


そうであってもなくてもかまわないけれども。
でも、私はいろんなことにうんざりしている。
この世の中の多くが恐怖とか投影ばかりで出来上がっていることに。


私はもうそういうところで生きている人とか出来上がっている世の中の仕組みとかとは手を切ってもいいと思っている。
それでももう、私はやっていけると思う。
そうなればいちいち自分の中にたくさんの敵を抱え込む必要も無くなる。
それはいつまでもあり続けて無くならないものなんだろうけど、関わらなくても生きていける場所がもう私にはあるように思う。そして、その踏ん切りが付かないところで私は今激落ちしてるような気がする。


そっちの世界が私を引きとめようと躍起になっている。
それは逃避だ逃げだと私を追い込む。
疑問に思ったことを検索すればすぐに「トンデモ」に引っかかる。
そしてトンデモの周辺には気色の悪い人間が生息するもんだからそれがやたらと目に付く私の意識。
でも、私はそういう気色悪い輩とは全然違うのだから別にいいんだよな。
嫌なものと関わり続ける義務は無い。
私には好きなものや好きな人や好きな世界がもう既にあるし既に関わっている。


私を引き止めるものが私から幸福の記憶を奪っているのだと気付いた今となっては。
しょうたいみたりかれおばな。