またぶっ倒れている

一ヶ月くらいぶっ倒れている。
どうしたもんか。


どのくらい深刻なのかはわからないが気質がそううつなのはもう、しょうがないことだと受け入れるしか無いのだろうと思う。
年齢も年齢だし、こういうふうになってから長いし、これが「治る」ようなものだとはもう、思えない。
むしろ、治そうなんていう気があるから良くないのかもしれないとも思う。


しかし、そんなにきついうつ状態では無くなっている、特に今回は。
それはそれでいいことなのかもしれないが、そうでもないような気もする。
ひどく辛くもないからか、ここから抜け出したいという強い思いも湧いてこないことにまた危機を感じもする。


最近の傾向としては、とにかく言葉が出てこない。
強烈に苦しかった頃は外に向けても内に向けても誰にとも無い言葉が溢れ出るようだった。
そういうものが無くなってきたのは、私は「判断する」ということを止めつつあるからだ。
なんか、意味無いな、そういうのって、って思う。
正しいとか間違ってるとかって、もうどうでもいい。
そういうことを言うことによって何か自分を鼓舞したりとかはあるのかもしれないけど、それ以上の事は無い。
特に、自分のことをああだこうだと判断して、判断したからってそれでどうなるものでもない。
もう、自分の考え方の核みたいなものは出来上がっていて、ちょっとやそっとの批判で訂正されるようなものじゃないし。
そういう理屈をこねくり回しても同じ答えしか出てこない。
それが「正しい」と思うにしても「間違っている」と思うにしても、自分にそれができるのかできないのかということがあるだけ。


で、いーかげん、立ち直ったほうがいいんじゃない?つまんねーし。なんだけど、
「うーーーーん、なんか無理」
これで全て終わりだ。
こういうのは人として最低だとか、もう、そういうのはやめている。
最低、だからなんなんだ、って感じ。
なんだかふてくされているようでけっこう嫌になるんだけどそうなんだからしょうがない。


「そうなんだからしょうがない」
ということを自分に許してしまったわけだけど、もしかしたらこれを堕落とか言うのかもしれない。
でも、堕落だから何なんだよ?と思う。
「堕落したらいけない」のかもしれないし地獄に落ちるのかもしれない?けど、もう、そういう「判断」はやはりどうでもいいんだ、もう。


現状はこうである。そんだけでいいじゃん。
なんだけど、しかし、かと言ってこの現状はかなり困るんだけどな。
結構人に迷惑かけてて申し訳ないし、このままだと唯一の僅かな食い扶持さえ失いかねないんだよなー。
でも、人に迷惑掛けたくないだけのために、必要な食い扶持のために、無理無理がんばって気力振り絞って、そんでそんなの何なんだよ、って思う。
なんかもう、かなり最低な人間な感じなんだけど、そうなんだからしょうがないんだなこれが。



思えば、どうしょうもなく苦しい鬱がなんとかなって、それから2、3年はかなり楽しかった。
それが、この1年、どうもなんだかダメ。
ていうのはどういうことか、ってのを楽観的に考えるのなら、
「今のやり方じゃもう自分には違うってことだな、なんか変わる必要があるんだろうな」ってところかも。
それが何かなんてさっぱりわからないんだけど。
そんで、わかんないって思うたびに動けなくなるってのはかなり情けないんだけどね。
なんかわかんないなりに何か行動しながら見つけるのが健全ってものだと思うんだけど。
でも、できねーし、そういう健全が。
できないんだから効率悪いけどしょーがないか。
と、いちいち「そうなんだからしょうがない」しか出てこないんだなこれが。


こーんなにやる気が無いのに無理になんか頑張るのなんかもうぜったいやだって思う。
まあね、無理に頑張って良かったことっていう経験が無いからなんだろうが。
無理に頑張ってみて良かった、っていう思いがある人もいるんだろうなあ。
うーん、無いなー、そういうの。
別に人生で頑張ったことが何も無かったわけじゃあないと思うんだけどいくら私でも。
辛くても頑張れる時に頑張っただけで、無理は無理なんだけど。
ていうか、わかんないけどとりあえず何か動いてなきゃってだけじゃ頑張れねえ、と思う私は弱いのかもしれないし甘いのかもしれないけど、それならそれでしょーがないな。
と、やっぱり、「そうなんだからしょうがない」なんだよなー。


せめて、もうちょっと良い感じになるといいなあ。前向きな感じに。
「そうなんだからこれでいいんだ」って。
なんか、かなり図々しいけど。
でも、そういう図々しさっていいな。



と、ここまで書いて、
「自分てすっげー真面目だな」という発見が・・・。
ここまで自分としっかり向き合えるかよ、普通、って気がしてきた。
そうなんだよな。
今回ぶっ倒れてるのはこのぶっ倒れ癖ととことん向き合って受け入れる覚悟であったような気がする。
「こうやってやっぱりぶっ倒れちゃうんだから私はもうどうしようもなく最低だ」なんていうのは逃げなんであって、なんかもう、そういうのはやなんだよ。
最低とか判断したってしょーがねえのな。
最低かもしんないけどそれはそれとしてどうすんの?ってことなわけなんだよな。
そう簡単に死んじゃったりとかできないしさ。


でも、こういうこと考えてるのってすごくバカなことだとも、また思う。
いちいち考えなきゃ進めないような気がするのがなんとも情けない。
まあ、情けないんだけども、まあ、そうなんだからそれでいっか。



そもそも、どうもここ一年くらい、良くないんだ。
「やらなきゃならないこと」があって、それは別にやりたくないことなんかじゃなくって、ちゃんと楽しく出来たりするんだけども、ふっ、と、電池が切れたみたいに無気力になる。
一体何なんだよこれは、っていう苛立ち。
自分で無理に何か我慢してやっているというような気は全然無いってのに。
で、まあ、なんとかしばらくふてくされて、ふてくされるのにも飽きて、しょうがないから少しずつ動き始めて、そのうちなんとなく楽しくなって来るんだけど、この、楽しくなってくるっていうのがどうも、なんか、ウソっぽいような気がする。
どこかに気の晴れない自分がいるような気がして、それをごまかすためにテンション上げて頑張って、そんで疲れて電池切れ状態になっちゃってるような気が、やっぱり、する。


こんなふうに難しく考えるのは違うのかもしれないけど、他のやり方が私にはさっぱりわからない。


どうも、自分で意識して、ちゃんと方向を定めないと、どんどん自分を追い詰める方に行くのが私だと思うので、やっぱり、立ち止まらないとだめなのかもしれない。


今日はずいぶん言葉が出てくるけど、それも、一ヶ月以上ただただぶっ倒れていればこそ出てきたもので、じゃなきゃ、やっぱり空回りを続けているだけなんだと思うし、
それなら、やっぱり、必要があってぶっ倒れているのかもしれないなあ。


ぶっ倒れてストッパーがかかっても、その意味が汲めないから、何度も同じようにぶっ倒れるのかもしれない。
意味があるのかもしれない。


意味があるってことじゃなきゃやってらんないけどな。。。どんだけ月日を無駄にしてるんだ私の人生って。


とか言っても、じゃー、何が違ってぶっ倒れてるんだかってのはまだノーアイデアだなー。


どうしたいんだろ?私。