人は絶望くらいじゃ死ねないということ

人は絶望くらいじゃ死ねない。
絶望したところで、恐怖に耐え得るというのはまた別のことなのだ。
このまま静かに消えてしまえるならば消えてしまいたいとは思う。
そうはいかない。


楽に死ぬならまず大量服薬を思う。
これもなかなかうまくいかないのは経験済み。
健康な体は何が何でも生きようとする。
大量に薬を飲めば吐き出すようになっている。
うつろな意識の中で大量に嘔吐し、3日くらい眠り続けた後自然に目覚める。
頭はぼんやりするがやがて回復し、また同じ生活意識の中に戻る。
医療行為を受けなくても全然大丈夫。


さて、何が楽しみで生きているのか皆目検討の付かない人でも日々生きているということはある。
ある60代の女性はほぼ寝たきりで、かといって何か病気というわけでもない。
がんばれば多少動けるのだろうが、本人に頑張る気持ちがないので寝たきりのままになってしまったという噂。
彼女の場合、高齢ゆえの寝たきりとはちょっと事情が違うらしい。
食事介助、おむつ、入浴介助、ただ、ベッドの上に一日中居る。
常に不機嫌そうな様子。
病院内の同室患者、看護師、介護士に対して命令的で誰からも嫌われていた。
「もう死にたい」などと言う事もあるが、どうもそういうことではないらしい。
そう言えば構ってもらえるとか、同情されるとか勘違いしているようで、
どうやら人に世話をしてもらうのがこの人の生き甲斐なのかもしれない。
こんな人にでもなにやら生き甲斐というのはあるのかもしれない。


頑張るというのは美しいことだ。
それが見えるからこそ人も手を差し伸べる。
困るのは、どうにも頑張れないということ。
何のために頑張るのだろう?
”とにかく生きていかなきゃならないのだから頑張るしかない”
そういう原動力で頑張れるというのがもう、既によくわからない。


人は、喜び無しに生きようとできるのだろうか?
これ以上の苦しみに陥らないため、それだけの理由で頑張れるのだろうか?


こんなことを思う私はあの忌まわしき女性と同じなのだろうか?