家族の問題はいつだってついて回る。

家族の問題はいつだってついて回る。
今、父の病状が厄介なことになっている。
高齢になれば何かしら大変なこともあるだろうとは思っていたけれど、
それは漠然としたもので、現実にそうなってくると、問題なのは、そういう変化そのものではなくて、
それによって元々あった家族の問題が露呈してくるということなのかもしれない。
出来ることをただこなすだけのことなら、ただ、やるべきとこが増えるだけのこと。
そこに、それぞれの人の気持ちが絡んでくるから、元々の問題がより大きくなって迫ってくる。
その負担のほうが大きい。
ある程度家族の関係が健全な状態であれば、家族の一員が死に向かっていくことそのものは別に自然な経過なのだし、
そんなに苦しむことでも無いのかも知れない。


「かわいそう」っていうのは主観だ。
本人が何をどの程度苦痛と感じているのかは本人の問題だ。
主観的な思いだけで「あなたのためにこんなに心配している、これだけのことをした」と言って、
「別に頼んでない」と言われてもしょうがないと思う。
もうね、いつだって、これだ。
そんなもんは優しさなんかじゃない、という言葉を言ってしまうのを、常に堪えている。
「私はこんなに犠牲になってまでやることをやったのに、別に頼んでいないというのはあまりにも酷い、冷たい」
と言う母の愚痴をどれだけ聞かされてきただろうか。
それで、私自身も長い間、父は酷い人だと思っていたけれど、それだけのことでもないなと思い始めたのはいつ頃からだっただろう?
もう、最近は、全くそういう母に同情できない。
そして、なんだかもう、それこそが我が家の諸悪の根源じゃねーかみたいな気持ちにもなってきて、ついつい、母に辛く当たってしまう。
そして、とはいえ、母を苦しめてしまうことも、自分には苦痛になる。
ああ、なるべく、冷静で、いたいのだけれど・・・。


思いを巡らせていると、どんどん腹が立って来るのだから困ったものだ。
いつもそう、いつも、それで、私だって苦しんできた。それはあなたの思いやりという名の、ある種の支配的な暴力では無かったのかと。
そういう気持ちがあるから、まるで復讐でもするかのように母にキツく当たってしまうんじゃないのだろうかと。


人は人、自分は自分、っていう立場を取る度に、ものすごく憤慨する人なので、まあ、なるべくそこは避けようとしてきているわけだけど、
でも、人は人だし自分は自分じゃね?
相手の気持を慮るってのは、自分の気持ちを感情移入することじゃないだろ?
自分ならこう思う、でも、その人がどう思っているのかなんてわからない。
だから話し合ったりよく考えたりしてなんとかわかろうとする。そして、そのうえで行動する。
それだけのことが何故、全くできない人なんだろう?


厄介なのは、また、父が父である。
なんであの年代の男性っていうのは自分に正直になれないんだろうか?
そもそも、自分のほんとうの気持ちさえわからないんじゃないだろうか?
自分の義務、ならよくわかるけど、自分の気持ちのことを考えたことのない人生なんだろうな。
だから、言葉にできないイライラが態度で出る。
それでどれだけ嫌な思いをさせられてきたことかと思う。


とにかく、こういう二人の戦闘状態が絶えずあって、
私が一番それをなんとかしようとがんばっていたわけだけど。
父の気持ちを代弁し、母の思いを代弁し。
でも、何年か前にもう、そういうのはやめようと思った。
そんなもの、何の役にも立っちゃいなかったと気付いたから。
私が代弁してなんとかわかってもらおうとしたところで、本人たちにその気が無ければどうにもならない。
歩み寄ろうという姿勢はどちらにも無い。
そもそも、それは、私が立ち入るまでもない、二人の問題なんだから。


父は、母が自分には無条件に従うべきだと思っている。
かと言って、強制するでもなく、従わないのなら不本意ながらも諦める。
こういう男に従えない母の気持ちはよくわかる。
よくわかるけど、「もういい加減あきらめたら?」って思うんだけどね。
逆らうほうが疲れる。
従いたくないことは勝手にやれば、別に、強制するわけでもないんだから別にいいじゃん、
ていうのは、夫婦っていう愛情が絡んでくると、まあ、そうも行かないんだろうけど。


そして、まあ、何かと自分と意見が違う母のことを全く認めない父も父で、
母のやり方のほうが良かったことなんかいくらでもあるし、
不器用な父を母がフォローしているからこそあの父が孤立せずにやっていけてるところもあるんだけど、
そういうの、全くわからん人なんだよね。
だから、何かにつけて母の味方をしてきたわけなんだけれども。


50年以上も夫婦やってて、未だに、
「普通の夫ならこうするはず」っていう発想で居続けるのが、もう、いい加減、なんなんだろうって感じ。
私は「普通ならそうかもしれないけど、お父さんはそうじゃないから」って最近いつも言うんだけど。
「残念ね・・・」って、やっぱ、いまさらなんなんだよって思う。
残念な人だし、嫌なところは山ほどあるけれど、でも、他の人には無いようないいところもあるんだから、もう、それで良くない?


方や、諦めながらあるべき妻の姿を見続けて、
方や、諦めずにあるべき夫の姿を見続けて、
こんなバカバカしいことってあるだろうか?
こんなもの、関わるだけ無駄だ。
お互いに相手を見る気が無いんだから。


だから、もう、関わらない、で、何年かやってきたわけだけど、
色々とこなさなきゃならないことが出てくると、結局、ここが未解決なために、物事がいちいち滞る。
そして、それぞれの思惑が絡まって、それぞれが大きなストレスを抱えて、それをぶつけ合うことになる。


巻き込まれては、いけない。
できることと、できないことがあって、できることだけ、やればいい。
できないことばかり意識すると、できることまでできなくなってしまう。


とりあえず、弟がいてくれるのがありがたい。
客観的な立場でいてくれて、母にやさしくしていてくれるから。
今日も少し弟と話す時間があったから、自分の気持ちがぶれているのがわかったところ。
母の気持ちに引き込まれて感情移入し始めている自分に気付く。
「かわいそう」それは、ただの、主観だ。
私だって、今の父の状態はあまりにも気の毒で、ともすれば、なんとか方法は無いものかと考え始めると、苦しくて仕方ない。
でも、それは、私の気持ちでしか無いのだ。
父本人が、現状をなんとかしたいと思うなら、彼が自分でその気持ちを表明する以外無いのだ。
その上で、サポートできることをするしかないんだ。
本人が本人なりに戦っている時に、
それは違うとか、かわいそうとか、
そんなの、余計なお世話じゃないか。
「かわいそうで見ていられない」その自分の気持ちを解消するためにする行為なら、それは優しさでも何でも無い。


で、つまり、自分が「かわいそう」に取り込まれそうになるのを堪えて冷静になろうとしているわけで、
だから、とっぷりと取り込まれている母を見るだけでどうしようもなくムカつくってわけだ。
ほんとムカつくわ。
取り返しようもない過去のことを憂い、まだ起こっていないこれからの不安を憂い、
疲れ切って体調はどんどん悪くなっていくのに、そうやって自分を追い詰めることばかりし続ける。
自分の体調のことも考えずに、なんとしても自宅で看たいと言う。今の状態でできるわけないっつーの。
その端々に、見ても無駄な夢を見続けている。


「普通、病気をしたなら、もっと、○◯になるはず」
だから、父は普通の人じゃないから!
「・・・・残念ね」
いまさらなんなんだか、もともとそういう人なのに何いってんだか。
病院からの話の伝言に自分の悲観的な主観を混じえて話すから、「そんなに深刻な状況ならどうしたものか」と心を乱されて、弟にもう一度確認するとどうも、そういう話じゃないみたいだし。ムカつくわーーーー、ほんと、ムカつくわ。
母の言うことを一切聞かない信用しない状態になってものすごく感じ悪い態度になっている今の父の気持ちもわからんでもない。


そうやって、ありのままを受け入れるっていう気持ちが欠落しているから、私も散々あなたに苦しめられて来たんですけどね!とか、
最早もうどうでもいいことまで怒りがこみ上げてくる始末。
かわいそうって思う気持ちが強ければ強いほど愛情だみたいに洗脳されて、それに反発する自分は冷たいんじゃないか酷いんじゃないかと思い込まされるのは、ただの迷惑でしかなかったんだから。
人は自分の思惑通りになんかならんわ。結局、一番支配的なのは誰なんだよっていう。
まだ起こってもいない「最悪のケース」をいちいち心配して予めなんだかんだ言う、そういうの、呪いって言うよね、いまどきは。
ずっとやられてきたもんで、つい、普通に聞いてしまうけど、やっぱおかしいよなそういうの。
娘と話していて、母が娘のことで言っていたことと、自分が娘について感じていることとのギャップに、ハッとすることがある。
私のほうが健全で、母のはちょっとおかしいんじゃないかって思う。
こういう、ひとつひとつのことが「娘は自分より幸せになってはいけない」っていう呪いなのかもしれないと。
そんなふうに思ったことは無かったけど、最近、そう思う。


娘は、独特なキャラになってしまっている。
あーあ、もっと普通のほうが生きやすいのになーとは思うけど、
でも、すごくいい子だし、面白いからいいじゃん、たいへんだろうけどなんとかなるだろ、がんばれよーって、普通に思う。
そういうあの子に、「そういうふうに◯◯だと、◯◯なことになっちゃうよ」なんて、そんなことを言う発想は私には全く無い。
でも、私は、すいぶんそんなふうに言われたものだなーと、
母親ってそういうものなんだろうと、いちいち心配するものなんだろうと、そう受け止めていたけど、どうも、それだけじゃないのかもしれない。


私だって、余計なことを言ったりもする。
「そういう性格だと、◯◯みたい男の人は合わないわ〜、ちょっと女ぽいくらいの優しい男の子がいいよ〜、服飾とかにいくらでもいるだろー」
なんてさ、
彼女は、「そういう男はキライ!」とキッパリ言う。
ああ、健全だなってハッとする。
私は、こういうの、いちいち真剣に聞いていた。そうなのかな?そうかもしれないな?なんて。
ま、結局、その通りになんかしなかったわけで、それで失敗したんだかなんだかしらんけど、別に、母の言う通りだったなんて思っちゃいないけどな。
「ぐいぐい引っ張ってくれる人じゃないと」とか、よく言われたけどな。
意味不明だよな、ぐいぐい引っ張ってくれる人ってどういう人だよ?
そんな、ただ都合よく女のことを面倒見てくれる男がいるわけないじゃん。
ぐいぐい引っ張る男は現実にはただの傲慢なパワハラ男だろが。
そういうありもしないものを想定するところがそもそも何もわかっちゃいないわ。


とか、いちいち、遡ってまでムカついてくる始末。
終わったことはもうどうでもいい。
私は、もうだいじょうぶなんだから。


まあ、もう、母ももう、そういう人なのはもう仕方がないので、いちいち気にしないように頑張るしか、それしかないんだよね。
変わるものならほっといてもいずれ変わるけど、変わらんもんはがんばったところで変わらん。
人を変えようと思うから腹が立つのだ。
縁を切れない関係のもとで、うまくこなしていくしか、それしかないんだ。
「普通の家ならこんなことにはならないだろうに」なんて思い始めたら、ただ、墓穴を掘り続けるだけ。
ったく、こんなに長い年月離婚もせずに戦闘状態でいる夫婦もそうは無いと思うよ。
でも、それが我が家なんだから。


あーあ、にしてもだ、いい大人が何やってるんだと思う。
かなわない夢を見て思い悩むのは若いうちにやりきっておいて欲しいもんだ。
いつまで持ち越してるんだ。
現実を見ないと人は容易く修羅に落ちる。
現実なんて、受け入れてなんとかこなしていくしかないし、幸せっていうのがあるのなら、その過程の中にあるもので、心が修羅ってたら気づかずに通り過ぎていくだけだ。幸せは結果じゃない。
そいうのって、地獄に堕ちてるんだと思うよ。
歳をとって、体が思うように行かなくなっても、それだけで不幸なんてことは無い、その状況でどう生き抜くかだ。
それができるのなら、かわいそうなんてことはない。
受け入れられずにもがき続けるとか、全てを諦めるとか、それしかできないのならば、それは、もう、その人の人生だ。
かわいそうだろうが、残念だろうが、自分の人生は自分で引き受けるしかないじゃん。
ほんの少しだけ力になることくらいしかできないし、それでいいんだと思う。



それにしてもだ、一部の人達は考えているようだけれども、なんで「いつまでも若く元気でいるために」なんてことばっかやってるんだろか?そうもいかないのが人生で、そうなってしまったら敗北なのか?
介護については全て介護する側の苦労の問題ばかりやってる。
介護される立場になった側が、そこから死に至るまでの期間をどうやって生きていくのか、そっちはどうなんだ。
少し前に偶然、伊藤比呂美の本を読んだ。
「これから死と向き合っていく人間(両親)が一向にそういうことを考えられないようなので私が考えようと思ったのだ。」って。
私が物心ついた時には既におじいちゃんおばあちゃんらしさのあった祖父母たちは、もっと悠然としていたように思えるのは、ただ単に私の立場が違うからそう思えるだけなのだろうか?
昔のお年寄りのほうがもっと幸せそうに見えたのは気のせいだろうか?
もっと、歳をとっていくことを自然に受け止めていたように思えてならないのだけど。
歳をとってやがて死んでゆくのは誰も逃れられない当たり前のことなのに、「歳は取りたくない」「いつまでも元気でいたい」って、現実逃避ばっかしてきた世代だからじゃないんだろうか?
そうしたら、寝たきりなんて敗北でしかないよな。でも、死ぬまでの何年かを、家族とかの世話になりながら、ありがたいな、って思いながら過ごすことは、そんなに不幸なことだろうか?
死んでいくのも大変なことだなって思う。電源を切るようにはいかないのだから。でも、その大変さに何の価値もないなんてことは無いと思うんだけどな。