うつ病が治るとき

4月に久々にうつ状態とか書いているので、そこから4ヶ月か。
前回のブログを書いた後はもう相当にだらけきって過ごした。
何もかもめんどくさいそういう自分で、もし一生このまんまだったらかなりつまんないけど、
でももうそういう自分でもいいやもう、くらいな。
開き直りと共に落ち込み度はまあまあ大丈夫にはなっていく、
ただ、やはりとてつもなくつまんない。

人は一般的に、「つまんないつまんない言ってる暇があったらなんでもいいからなにかやってみろ!」
とか思うもんだ、いや、それってまじめな人だけかな?(笑)
これ、かなりしつこいんだけど、何しろ鉄壁の常識みたいなもんだから。
これを封印。こんなもん毒にしかならん。
「つまんなくてだらしなくていいや」←これが必須、なんということでしょう・・・・。
それが一生続くのか数ヶ月続くのか明日までなのか、そんなことはわからない。
わからないことをどうのこのうの思っても無駄。
つまんない、それが現状で、それしかないんだから、今の目の前のつまんないだけやってりゃいいのだ。


んんーーーーーーーーー、で、なんだか徐々にいい感じになってきてるんだけどーーーーーー。
ちょっと気が向いてなんかやり始めるてのが時折あって、
まあ、3日も持ちゃしない。どーんとつまんなくなる。
その、変動にあたふたしない、何しろ「つまんない」を受け入れることにしたんだから。
で、とにかくつまんない、ちょっと気が向いてなんかする、また延々つまんない、
そういう生活を淡々としていた。
それがなー、ここ数週間、別に元気じゃないんだけど、好きなことやってると楽しいんですけど。。。。
めんどくさいこと始めるのはめんどくさいけど、なんとかなるんですけど。。。。
なんか、普通の生活感覚みたいなんですけどーー。
趣味に取り組むのとか、今回うつに陥って以来初めてのことなんすけどーーーーーー。
もう一生やる気なんか出ないかもしれないとか思ってたくらいなんだが。
気付けば、サイトのデザイン変更のためにスタイルシートのタグ打ちやってても頭がちゃんと働いてるよーーー!
なにこれ。


余計なことを考えるのをやめるだけで脳は休息して復活するってことなのか。
まあ、余計なことを考えるのも症状の内なんで、そこまでくるのもかなーり大変なことではあったのだけれども。

座禅瞑想の実践とブッダの思想を学んだみたいのがあってのこと、てのはあるんだなこれが。
私にとって大きかったのは、
色々な思いや考えことが浮かぶ、それは自然なこととしてそのままにする、
ただ、それを追いかけない、受け取らない、本気にしない、真に受けない、ただの妄想だから、
受け取らず流れるままにしておけばいずれ消えていく、諸行無常、みたいなやつ。

考えてなんとかしよう、動いてなんとかしよう、とか思いがち、それを完全に放棄した。
ただ、仏教やっぱ最終的にあんま好きじゃないなと思うのは、
絶望が妄想なのと同時に希望も妄想なわけで、
気分が良くなるようなことを思うことも結果否定するからね。
そんなつまらん人生やなこった、なんだけども、
これ、鬱には効果あるよな、希望なんて浮かび様もないもんね。楽しいとかも無いもんね。
無くて当たり前っていう前提は楽だよ。

どんなにみじめでどうしようもない状況だとしても、
どうにもできないことをなんとかしようと頑張らなくていいし、
そういう自分自身をみじめだなんて判断することはない。
しょうがないもんはしょうがない、と。
いわゆる、ありのままでいい、ってやつ。

無気力で何もできず、能なし状態の自分、でもそれでいいや、
そんな風に思うことはできないと思っていた。
そんな風に思っちゃいけないことだと思ってた。
そんな風に思ったら本当にそのままになってしまうと思ってた。
でも、そういうことが必要な気がした。
それはなかなか難しかった。
でも、これでよかったように思う。
ていうのは、能なしの自分を認めてしまって初めて、
「自分ってそんな悪いもんじゃないじゃん、結構いいもんなんじゃんか」
という視点が、何故か、皮肉にもできてくるのだ、驚いたことに。
今まで自分がやってきたこと、本当にたいしたことしてない、ろくなもんじゃないと、
それが、眼から鱗だ、結構凄いんじゃん自分、って。
一体これ以上の何が欲しかったんだろう、とさえ思う。
不思議だ。
でも、それは希望的観測なんかじゃない。


親しい人がうつになったら、誰だって思う、
良くなって欲しい、楽になって欲しい、
元のあなたらしいあなたに戻って欲しい、
「一生そのままうつ病のままでいてもいいよ、あなたはあなただから」
なーんて誰も言わない。(ところがこれを言った人がいたのだけどさ)
せめて自分で言うしかない。
私らしくない私だとしてもこんな私にだって価値あるよ、
私は私だもん。
・・・・・・そんなことを自分に許可するって、それが必要だなんて。

そもそも、うつになる人ってのは、
頑張ってない自分には価値がないという過剰な思い込みがある。
まあ、この世の中頑張ることに価値があるんだから、そうなるのも仕方ないのだが、
「過剰に」思い込んでるのだ。
いつだって、もっとできなきゃいけないと思っている。
あるべき自分といつも戦ってる。
頑張り屋と言えば聞こえはいいけれど、
あるべき自分ってさ、そんなもん抱えてなきゃならんって、
一体自分をどれほどのもんだと思ってるんだか。
できない、って認めたくないから効率悪くも頑張り続ける。
できなくっていいじゃん、なんでそんなことで一気に自分を無価値と貶めるんだ。
いい加減とかずるさとか、やっぱりどうにもよくわからない。

だから、頑張らない自分に価値があるってちゃんと認めなきゃならない。
そういうことを強制的にわからせようとして、
そのために、わざわざうつ病なんてもんが存在する。
うつ病がこんなにも辛いのは、
そんじょそこらの苦痛じゃちっとも諦めない頑固な奴に対する強行手段だからだ。


まーでもねー、それにしても、酷い仕打ちだよ、うつってやつは。
あり得ないわ、この世にあるんだね地獄って、ってほんとに思うわ。
他人に悪いことをしたらあの世の地獄に堕ちるという話らしいが、
自分に酷いことをするとこの世の地獄に堕ちるらしい。
あんまり納得がいかないね。

いつだって、調子が良くなると思う、あんなの有り得ないって。
無意識の闇から突然立ち上がるソフト、
メンテナンス中だから何をしても動きませんよ。
それならそれでただ待たせてくれればいいものを、
画面には自分への罵詈雑言の文字が羅列する、
忌まわしい映像が流れる。
リアリティー半端ない。
何をどうしても解除できない。
そりゃ、電源落とすしか無い=死ぬしか無いって思うよ。
なんだあれ、酷すぎる。

美しいもの、楽しいこと、嬉しい事、
何も心に響かない。
どんなに好きだったことにも興味がわかない。
何を食べても美味しくない。
そして、
「今は病気だから今だけだ、そのうちまともになるはずだ、今だけだ」
なんてとても思えない。
元々自分はやる気のないダメな人間で、今までだって頑張ってやってきただけ、
これが本当の自分の姿だ、
なーんて思い込む。
そんなこと無いのに。
そんなことなんか、絶対無いんだよ!

こんな辛いこと他にあるのかよ。
しかも、別に過酷な状態にいるわけでもなんでもない、
ただだらだらと転がっている生暖かい環境があってだらだらとしている、
その罪悪感。
そして、この有り得ない苦しみは、体の痛みでも無く、
誰かに何かされたわけでもなく、
ただ自分の心のなかで起こっていることで、
自分の心のなかでこんな酷い現実を作り上げているのは、
他でもない自分自身でしかない。
うつ病なんかになるのは自分のせい。
時には誰かを責めたくもなるけど、
そして、それで人間関係を壊してしまったりもする、
でも、誰かが悪いのだとしても、
それを克服できない自分が一番情けないのだといつだって気付いてしまう。

ただただ苦しいまま月日は過ぎて、年月が過ぎて、
自分が僅かながら積み上げて来たものが為す術もなく壊れていくのをただ見ているしか無い。
誰とも関われず、人間関係が壊れる。
仕事にももう復帰できないだろう。
面倒みてくれる人の限界はいつ来るのだろう。
お金はどんどん無くなっていく。
体力はどんどん落ちていく。
もしまた元気に動き出せたとして、このマイナスをどう処理していけばいいのか。
そんなことをうつ状態の頭で考えようものなら、
簡単にこのまま生きていてもしょうがないという結論になる。
「それはそれで、多くを望まなければ結構なるようになるもんだよ、実際。」
なんて、健康な頭だから言えることで、うつの頭には無理だ。

誰もこんな辛さなんてわかりゃしない、
わからないから、見当違いなことばっか言う、
いちいち不快だし、過剰に傷ついてしまう。
そうしてどんどん孤独になっていく。
ひとりきりだとろくなこと考えやしないのだけど、
他人の言葉で突き落とされるよりはましだと、諦めるしかない。

そして、そんなに苦しんだのに、
なんとか病気が回復すると、
「あれは一体なんだったんだろう?なんであんなことばかり考えてたんだろう?」
既にまともな思考になっている頭には、自分自身でさえ理解ができないことばかり。
ただただ、もう二度と嫌だと思うばかりだ。
あの苦しみがあったからこそ私は成長したなんてキレイ事、言いたくもない。
もうちょっとやりようはないもんかね。
本当に、いつだって、
よく死ななかったな、よく生きてたな、って、自分に感心するわ。



ほんとうに、うつ病ってクソだ!
(クソに失礼だよ・・・・)


またいつかうつに落ちる時がまだまだ来るのかもしれない。
そんな時、きっとまた性懲りもなく私はうつの思考で思うだろう、
「あれはたまたまそんな状態だっただけでなんか浮かれてただけで、これが自分の本来の姿だ」
とか、きっと、絶対に思うのだ。
言っておく、絶対真に受けるな!

そして、うつ病で苦しんでいる人に言っておく。
必死で怠けろ。
どれだけ自分はだうしようもない怠け者になれるか挑戦してるのだと思って怠けろ。
それしか助かる道はない。
怠け者の自分を決して責めるな。
あなたはそれでも価値がる、あなたがどこの誰であろうと。
怠けるのは、怠けているしか無いのは、ほんとうにほんとうに辛いことだって、少なくとも私は知っている。
世の中の人がなんと言おうと、それがあなたには必要なんだ。
そして、絶対死なないこと。
死なないで怠けて続けてさえいれば、勝手に治る。
なにもしなくていい。
死ぬ気で頑張るなーんて世間は簡単に言うけど、
死ぬ気で怠けろ、それがどんなに辛くて惨めでも。
あなたよりもずっとずっと最低な、世の中に害のある人間はこの世にいくらでもいるが、
そんな奴らでさえのうのうと生きている。
あなたに生きる価値が無いわけがないだろ。
生きる屍でいいから絶対死ぬな。

それしか言うことがない、
そのくらいうつ病はクソだ。


因果応報、実によく出来ている、ありがたい、
なーんて私はやっぱり言わない、言えない。
ふざけんな!って言うよ。
それでいい。

たったこれだけのことを理解して実感するために私はあんなに苦しんだのか?
たったこれだけのことがわからないほど私はバカで愚かだったのか?
そんなことはない、うつ病がクソなのだ。

みんな、誰もが頑張って生きてる。
できることならサボりたい、怠けたいって思いながらも頑張って生きてる。
でも、誰もサボらないで怠けないで生きてる。
それは偉いことなのか?美しいことなのか?
違う。
ほんとうは、怠けることは怖くて辛いから頑張っているだけで、
それに比べれば頑張るなんて楽なもんだ。
怠け続ける、それしか無いことがどれだけ辛いことか。