レポート下書き

ったく、そもそも書くことがこんなにめんどくさいと思うことって無いわ。
だいたい、自分の思ったことをぐっと捕まえて逃がさないようにして、
それに筋道付けたり修正したりするって思考しか知らないもんね。
淡々と観察するだけでも逃げたくなるのに、
さらにそれを書き留めるとか、すっごいダルイわ。
これに効果があるなら、
自分の今までのやり方の全てが無駄って感じでマジ凹むわ。
無駄だから何十年も持ち越してるんだけどさ、どうせ。
使ったこと無い錆びきった脳細胞動かすからいちいちめんどくさすぎる。
でも、きっとこれしかないんだなー、ってほぼ確信なのでしょうがないんだわ。
しかも、確実に得体の知れない重苦しさは減るんだこれが。
多分、無意識に力んでるのとか無くなるな、続ければ。
あーめんどくさ。
こんなの、追い詰められてなかったら絶対やらんわ。



7月14日
変わらず息苦しい感じと膝がガクガクする、けどしょうがない。
みぞおちのちょっと右側に、あるはずのない塊を感じる。
その辺りに不自然な力みがあるようだが、わりとどうしようもない感じ。
余り感じない瞬間もあるようだ。


7月15日
座法:
やはり息苦しさと膝のガクガク。
股関節のあたりで力んでいるのだと思うが、
力を抜くようにすると身体が後方に倒れそうに感じる。
上半身はかなりしっかりしてきていて、
意識しなくても正しい姿勢が保てている。


呼吸瞑想:
講義でやっただけで、もう一度やるつもりが忘れた・・・。


歩行瞑想:
課題の中でこれが最も気が進まないのだが
しょうがないのでやってみる。
最初の数歩は「こんなの15分もやってられるかねー」と思った。
初め、目線が足を見てしまいやすいので修正。
なんだかんだ、あっさり集中できてしまう。
15分は長く感じなかった。
終えると気持ちが落ち着いているのがわかった。


慈悲の冥想:
「私」と「私の親しい人」まではいいのだけど、
「生きとし生けるもの」で「ゴキブリでも?」とか思う。
ま、いっか、ゴキブリでも、ってことにする。
「私の嫌いな人」で、以前の病院の副院長が浮かぶ。
あの人が幸せでも悩みが無くなっても上等だけど、
彼女のどうせろくでもない願い事なんかかなわないほうがいいんだけど被害者出るんだから、と思う。
思うんだからしょうがないってことにする。妄想だけど。
とりあえずそんな程度。


7月16日
慈悲の冥想:
朝、半分眠っている状態で時々眠りに戻りながらも良からぬ思考が浮かんでいることに気付く。
「わー、やだ、目が覚める」「また重苦しい一日が始まるのかめんどくさい」などなど。
半分眠りながらこれやってたら目が覚めた途端にズドーンと落ちるのは当然。
目覚めたと思った時には既に最悪の気分になっている。
昨日「何も考えないでいきなりズドーンというのはない」
と先生が言っていたことをまさに実感した。
「慈悲の冥想やんなきゃ」と思いつく。
ところが、簡単な言葉なのに全く思い浮かべられない。
「私が?私は?なんだっけ?」状態。
仕方ないのでパソコン立ち上げてメールの文章を読むことにする。
「幸せ」という言葉にさえ引っかかる。
「幸せ?何それ?( - -)... 」という殺伐とした感情がある。
さすがモーニングデプレッションの破壊力、凄すぎる。
一言一言、読むだけで物凄い抵抗を感じるが、やるだけはやる。
なんでこんなに苦痛なんだとは思うが、結局、やって良かったと思う。
嫌だけど毎日やったほうがいいと思うし、
そのうちこんな抵抗は無くなるだろうと思う。
非の打ち所のない文言を思い浮かべるだけのことがこんなに困難なのは異常だ。



呼吸瞑想:
鼻腔が一番感覚がわかりやすいので鼻腔から開始。
鼻の下の感覚は殆どわからない。
大きく吐くようにすると時々少し感じる程度。
続けているとその「少し感じる」の頻度が若干上がるようだ。

態勢はやはりかなりぐらつくが、座法の時のような息苦しさは時々しか無い。
それと、先生の誘導でやってた時は殆どぐらつかなかったのに
一人だとぐらつくから変だと思う。
筋肉とか身体の慣れだけの問題じゃないのかもと思う。


座法:
上半身の態勢がしっかりする程に下半身に違和感がある。
重心は自分の取っている態勢よりもう少し後方なのだと感じる。
そのバランスだと膝が浮いてしまうので股関節に力が入る。
股関節の力を抜くと下腹部に力が入る。
下腹部で力みながら、腹が膨らむ呼吸をすることがそもそも無理。
だからいちいち苦しいのだと思う。
元々股関節がとても硬いことが一番問題だと思う。
ストレッチとかもしたほうがいいかも。
とりあえず、腹部の感覚を感じるようにしながら、
グラグラや息苦しさはしょうがないのでそのまま。