やっぱ、感情の規制

なんかもう、苦しくってしょーがなくて
まあ、そういう時は呼吸がうまくできていない。
吸うことが出来ても吐くことがなんか不自然で、
止めてから一気に吐くことしかできなかったり。
意識すればするほどわかんなくなる。
あんまり考えないようにして、耳に意識を集中させるとか、
一点をなんとなく見つめているうちに、まあ、なんとか。
過呼吸ってほど深刻じゃないので、そのうちなんとかなる。


そんなこんなでなんとなく思ったのは、
「あ、私怒ってるな」って。
で、怒っちゃいけないとかまたやってるな、と。
どうやらこれがわけのわからん苦しさに姿を変えたってのが泣きにしもあらず。


最近といえば、
なんか方法ないのかよ?ってことで、
色々調べてるうちに某心理療法ってのに、
「これ可能性あんじゃねえの?」って思って、
面倒だけどなんとか家族を説得して、
準備して、予約まで行って、
その当日を待ってる状況なのだが。


安易に希望を持つのも怖いもんで、
出てくるのが、今まで誰も何の答えも持っていなかった、という事に対する怒りだ。


薬飲んで休め、から始まって、
頑張んないで休め、とか、
およそ何の足しにもなんない。


カウンセリングでなんとかなるんじゃないかと思ってたけど、
どうもこれも無理っぽい。
感情を押し込める癖がついた原因はまあ、わかったような感じだけど、
だからって別に今の苦しさはどうもなんない。
頭でわかっただけじゃだめなんだろうから
なんか時間がかかるとかそういうことなんかな、
つっても、
まあ、待てど暮らせどなんも楽にならん。


結局、今まで、誰も具体的な方法なんか提示しなかったし、
そんなもん誰も知らないってことだ。
バカの一つ覚えみたいに、
頑張るな、休め、ってよ。
がんばってねーし、
何もしなくても全然休めねーし、
どうすりゃいいんだ、
これの答えなんか無い。


溺れてるっつーのに、
泳ぎ方教えてどうすんだよ、
浮き輪の一つも投げてくれ。


まあ、そういう怒りだ。


で、カウンセラーだって別に知ってる限りのことで対応したわけで、
別に仕方のない事だ。


だからって、
別に私が怒りの感情を抱いたって別にいいわけで。
こんだけどうにもなんなきゃ、怒りが湧いて当然なわけで。
怒ることそのものがいけないなんつーことはない。
ただ、カウンセラー本人に向かって怒りをぶちまけたりしたら問題なだけで。
怒るのは自由。


怒って当然、怒るのは自由。
こういう発想が自分には無いらしい。


まあ、さらに、別にこれで治ると言われたわけじゃないけど、
某フラワーエッセンスを試させてくれたってのがあって。
まあ、これに関して、
この数ヶ月、
「試したみんなに効果がみられる」みたいなブログ記事がしばしばあって、
しかし、私に関する限り、何も変化とか無い。
ちょっと待ってくれよ、と、
「ここに変化のない人がいるんだけど」
と書き込みしちまったがな。
まあ、こういうことをスピリチュアルに言っても帰ってくる答えはひとつ。
「微細な変化なので感じにくいかもしれない」
こんなもん、答えになるか?


結局ここが限界なのだよな。
この言い分はおかしい。
「微細な変化を感じ取れないのはあなたの問題だ」
と言われるに等しい。
スピリチュアルはいつもこの論理だ。
じゃ、微細なそれを感じるにはどうすりゃいいのか、
そういうことには答えが無い。


そもそも、特にこのフラワーエッセンスってのが格段によくわからんというのは、
いい状態の草花を水に入れて煮るとか煮ないとか・・・・
よくわからんけど、そんで、エネルギーが転写されるってことなんだが。
しっかし、この理屈だと、
オウム真理教の信者が尊師の入った風呂の湯船のお湯を飲んでどーたらこーたら、
つーのと同じ理屈になってしまうわけで・・・・。
まあ、これも、信者には効くってことはあるんじゃないかとは思うけど、
関係のない人間がこれ飲まされて解脱だか悟りだかなんだかに近づくなんつー気持ち悪いことが起こるはずもないし
そんなことが起こったらたまんないよなー。


やっぱ、プラシーボ効果しか無いんじゃないか、っていう結論しか出てこないんだよねー。


まあ、そんなことも重なって、
怒りの感情が出てくるのも当然なんだよな。
あんまりあの人に対して怒りの感情なんか抱きたくない、ってのはあるけど、
それはそれで、怒りはやっぱあるわけさ。


まあ、そんだけのことだ。
怒ってる、それだけ。