中村うさぎを読んでみようか

中村うさぎさんについて色々検索してた。
本を読んだことはない。
最近は「5時に夢中!」をよく見ているけど、「この人ちょっと好きだなー」って印象は結構以前からある。
強烈なマジェンタカラーを放つ印象。
マジェンタっていうのは高次元の愛という意味があるらしいけど、私がこの色に感じるのは、度を越した純粋、女性性へのこだわり、ギリギリな感じ。
マジェンタは、男の人には感じたことの無い色。個性の強い女性にしばしば見られる色。


この人の本は読んでみようと思った。
近年、女流のものを読みたいと思いつつも、積極的に読んでみたいと思うものが無いので手を付けていない。
女性の書くものを避けていた自分はずっとあって、そのわけって、「所詮女の考えること」っていうものに関わりたくないから。男性から、異性としてではなく人として認められること、が最大の賛辞だとどうも私はずっと思い続けていた。
ある時から女流を読みたいと思うようになったのは、やっぱ男性と女性では問題が違う部分があると思い始めたから。どちらの性が語っても同じようなことだってあるけど、女性であることと向き合っていないと見えてこない大切なものがあるんじゃないかと、そんなことを思うようになった。


中傷の類も多いけど、それを外しても、批判されることの多い文章みたいだ。多くは、「主観的、独断的に過ぎる」と。主観的で独断的・・・おもしろそうじゃん!と私は思う。無理無理主観性を排除したものなんてなーんもおもしろくなんかない。例え論理的に破綻しようと言いたいことはあるはず。整合性や一貫性なんてちっぽけなことだ。その人の文脈で読む視点を持てばいいだけのこと。私は正しいとか間違っているとかってことには既に興味が無い。


買い物依存、ゲイとの結婚、一人のホストにハマる、デリヘル嬢体験、整形依存、破滅的と言ってしまえばそれまでだけど、そこに向かわざるをえない自分と向き合って書くってのは凄いなと、単純に思う。感想のブログやインタビューなどを読んだ感じだと、この全ての非常識と言える行動は「自分は何者か」という問いかけそのものだとわかる。そして、これらは、私はそこには行かなかったけど、その可能性は十分にあったんだよなーという。


現在の中村うさぎRPGゲームばっかやってるらしいけど、私はあれは敢えてやらない。自分が依存的な性質だと言うのがわかっているので怖くてできない。あんなにおもしろい物はないと思う。そして、何の足しにもならない恐ろしさ。それは全てに言える。私はストッパーを外さない、怖くて外せないからやらないでいるだけだ。高級品を買いまくるとか、整形にハマるとか、やりそうな自分がいる。きっとやらないだろうけど。でも、ある程度の額の収入の自信が見込める自信があったとしたら、もしかしたら、と思う。デリヘル嬢になることで自分の女としての価値を取り戻したいという思考回路も、決して理解できないようなものではない。つまらないホストに入れあげることも。ゲイとの結婚だって。


でも、それをやってしまうだけならそういう人に余り興味は無いのだけど、それを自分の、女性としての自意識の問題として真剣に考えるってのは、そりゃ、読んだらおもしろいだろうと思う。感動さえするんじゃないかと予感する。自分の事を考えるというのは、出口がない、答えがない。それでも問い続けなければ生きていけない。ごまかして、保留にして、うまく生きてゆくことができない、そんな人間はどうしたらいいんだろうね?その答えは出ないんだけど、それでも、向きあっている真摯さには感じるものがあるだろう。


しかし、「女性の書くものが読みたい」と思って、なんか食指の動くものが無くて、あったと思ったらこんなにも極端なものだってことが、なんだか、嫌だけどしょうがない。


それにしても、美保純とあの番組でしゃべっている中村うさぎはかわいいなあと、いつも思う。二人はよくコスプレしてるけど、そうでない時でも、あの二人が少女のキャラクターみたいに見える一瞬が、よくあるんだよね。3等親のかわいいキャラクターに見える。
声が低くてバサバサで、人の発言をバッサリ切ったり、品が無いし、顔は整形ゆえの美しさなんだろうけど、私はあの人の雰囲気はなんか好き。顔つきみたいなところかな。言いたい放題のように見えて、それを客観的に見る自分が内にある人の雰囲気だからか。あれだけヘンテコなのに天然じゃないっていう人の人生は、それはそれはたいへんなんじゃないかと思う。私もわりとそういう人だしね・・・。