少し抜けてきた

思うところあって、数日間、逃げずに受け入れるということを思いながら過ごしていた。
落ちてくると、「うわーまただ、やだやだ、なんでだなんなんだいったい!」と、半ば戦闘態勢になる私。
戦って勝てる相手では無いのでとことんまで打ちのめされる。
気分が沈むのならおとなしく落ち込んでりゃいいじゃんかとある時思った。
そして、まず、自分の趣向に合う、暗い音楽を聴いて浸ることにした。
これが、悪くなかった。
そして、「喜怒哀楽」の「喜」と「怒」だけしか自分の日常に無いということを思う。
「哀」を拒絶するから「楽」になれないとか。
落ち込むのが当然の時に、私はいつも怒っている。


暗い気分を嘆くのでも打ち消すのでもなく、そのまま素直に表現する短文をいつもの短文ブログに更新した。
気分が悪い時にはろくなものが書けない気がして通常更新をストップするのだが。
「暗いのを書こう」と。
これも悪くなかった。


そして、別にいつだってそれなりの時間が経過すればここは抜ける、その間はなんとかこれとやっていくしかないという、当たり前のことを思う。
何度も繰り返すことに今回特にグレているのだが、なるべく短期で軽い落ち込みになるように、日常の「喜怒」ベースの生活を改めようと思った。
先のことを考えられるということは、道半ばに来ている。


所詮受け入れるしか無いのだ。
そして、今この時に受け入れられないようなことなら今このときには起こらないのだ。
逃げれば追われる、戦えば消耗する。
受け入れるのが自然で楽で早道なのだ。


「普通の人って毎日落ち込むらしいよ」
そうかもしれない。
「宵越しの銭は持たない、みたいに、宵越しのパワーは持たないみたいな生き方してる」
かなりそうかもしれない。効率悪い、ダダ漏れ


カウンセリングもいいし、
フラワーエッセンスとか、もしかしたら、効いているっぽい。
まあ、ああいうものはやはり効くようになっている。
古代の叡智の現代版。
ある意味、西洋医学よりも先端なのかもしれない。